基礎知識
Ⅰ 基礎知識
本ファイルは「ベトナムの投資・M&A・会社法・会計税務・労務【全訂版】」第1章(基礎知識)の編集可能版です。本文・見出し・表をWordネイティブで再構成しており、文字を直接編集できます。地図・気候グラフ・教育モデル図などの図版は、原寸・原レイアウトのまま「修正版_完全版」に収録しています。
正式国名 ➡ ベトナム社会主義共和国
ベトナム語名:Cộng Hoà Xã Hội Chủ Nghĩa Việt Nam
英語名:Socialist Republic of Viet Nam
国旗
赤地に黄色の1つ星の国旗で、通称「金星紅旗」と呼ばれます。南北にベトナムが分断されていたベトナム戦争時代に、ベトナム民主共和国(北ベトナム)が国旗として制定し、南北統一後もベトナムの国旗として使われています。
赤色は独立革命で流された血、黄色は革命、五条の光が、労働者、農民、兵士、知識人、青年を表すとされています。
面積・国土 ➡約331,212㎢(2026年1月時点)
国土は南北に細長く1,650㎞にわたります。面積は約33万1,212㎢で、九州を除いた日本国土と同じくらいです。
ユーラシア大陸の南東、インドシナ半島に位置し、北に中国、西はラオスとカンボジアと国境を接しています。国土の東側に続く長い海岸線は、北部はトンキン湾を挟んで中国の海南島に面し、中部から南部は南シナ海に面してフィリピンやカリマンタン島(マレーシア領、ブルネイ領、インドネシア領)を遠く望み、南西部はタイランド湾に面しています。
【図】ベトナム全図(地図・グラフ等の図版は「修正版_完全版」に原寸で収録)
国土面積のうち約4分の3が山地・丘陵で、耕作が可能な土地は国土面積の2割程度といわれており、その多くが紅河(ホン川)やメコン川といった大河の流域や、沿岸地域にあります。
南シナ海に浮かぶ南沙群島(スプラトリー諸島)の領有権をめぐって、主に中国と紛争が続いています。また、台湾、フィリピン、マレーシア、ブルネイも領有権を主張しており、それぞれが島ごとに実行支配している状況が続いています。また、中国、タイ、カンボジアとの領海線に関する問題もあり、解決には至っていません。
首都ハノイと最大の都市ホーチミン
[ハノイ] ベトナム語表記:Hà Nội 英語表記:Hanoi
首都ハノイは、北部の紅河(ホン川)流域に位置し、人口は約890万人を擁するベトナム第二の都市です。古くから交易がさかんな農産品の集散地であり、11世紀(1010年)に李朝の都タンロンとなってから千年以上もの間、政治・文化の中心として栄えてきました。1945年にベトナム民主共和国(北ベトナム)の首都となり、1976年の南北統一後もベトナム社会主義共和国の首都として現在に至っています。近年は都市鉄道(メトロ)が開業するなど、インフラの近代化も急速に進んでいます。
[ホーチミン] ベトナム語表記:Thành phố Hồ Chí Minh 英語表記:Ho Chi Minh City
ベトナム南部に位置し、同国経済の中心地です。2025年7月、旧ビンズオン省・旧バリアブンタウ省との合併により人口1400万を超える巨大都市になりました。近年は、好調なベトナム経済を牽引するホーチミンに全国各地から人が流入し、人口増加が続いています。行政区分としては、首都ハノイとともに省と同格の「中央直轄市」に指定されています。旧名はサイゴン。1976年の南北統一時に、ベトナム建国の父とされる故ホー・チ・ミンにちなんで現在の名称となりました。現在でも現地では、中心部や歴史的な文脈において「サイゴン」の呼称が広く親しまれています。
気候
ベトナムは赤道と北回帰線の間に位置し、モンスーン(季節風)の影響を受ける気候帯にあります。しかし、南北に長く起伏が激しい国土のため、それぞれの地域により気候は異なります。
北部は、四季のある温帯性気候となっています。冬季は1~3月で肌寒く、気温も10℃台まで下がります。一方、夏季は5~10月で、気温は30℃を超え、スコールのような雨がしばしば降ります。春季は4月、秋季は11~12月で、比較的過ごしやすいです。
南部は熱帯性気候で、11~4月の乾季と5~10月の雨季とに分かれています。1年を通じて気温が高く、雨季にはスコールが見られます。中部は、北部と南部の中間にあたる気候ですが、たびたび台風が上陸するため、8~12月の降雨量が非常に多くなっています。
【図】ハノイ・ホーチミンの降水量/気温グラフ(出所:World Weather Online)(地図・グラフ等の図版は「修正版_完全版」に原寸で収録)
時差 ➡ -2時間(UTC+7)
全土統一時間帯で、日本との時差は-2時間です。日本の正午がベトナムの午前10時になります。サマータイムは導入されていません。
人口 ➡ 約1億200万人(2025年推計)
ベトナム統計総局(GSO)のデータによると、ベトナムの人口は2023年に歴史的な節目となる1億人を突破しました。2026年現在は約1億200万人(推計)に達しており、ASEAN域内ではインドネシア、フィリピンに次ぐ第3位の規模を誇ります。
人口構成においては、豊富な若年労働力を抱える「人口ボーナス期」が続いていますが、近年はその構造に変化が見られます。合計特殊出生率は長らく理想とされる「人口置換水準(2.1)」を維持してきましたが、近年は低下傾向にあり、2023年に2.0人を割り込んだ後も低下が続き、2024年には過去最低の1.91人を記録しました。特にホーチミン市などの都市部では少子化が顕著です。
このためベトナム政府は、政策の方針を単なる「人口抑制」から、適切な出生率を維持するための「結婚・出産奨励」へとシフトさせています。同時に、世界でも類を見ないスピードで高齢化が進行していることから、定年年齢の引き上げ(2021年施行の改正労働法)など、社会保障制度の整備も急ピッチで進められています。
言語 ➡ ベトナム語(公用語)
公用語であるベトナム語はキン語ともいい、もともとは約86%と多数を占めるキン族の民族言語ですが、現在では少数民族の間でも共通語として話されています。ただし、少数民族言語の使用も認められており、少数民族の地域では二言語による教育が行われています。
ベトナム語の文字はクォックグーと呼ばれる日本のローマ字表記のような表音文字で、F、J、W、Z以外のアルファベットを使用します。発音においては6つの声調が用いられるため、声調を表す記号が振られています。なお、100年ほど前までは漢字が使用されていたため、漢字由来の単語が現代ベトナム語でも多く含まれます。
通貨 ➡ ドン(略称VND)
通貨単位はドンで、補助単位は使われません。紙幣は大きく分けて2つの素材があり、1万ドン以上の高額紙幣6種類(1万・2万・5万・10万・20万・50万ドン)は耐久性の高いポリマー製、5,000ドン以下の少額紙幣(200・500・1,000・2,000・5,000ドンなど)は紙(綿)製です。なお、硬貨(200~5,000ドン)も存在しますが、現在は新規発行が停止されており、実際の支払いで使われることはほぼありません。レートは、1万ドン=約60円(2026年1月時点)が目安となります。
宗教
公式統計(2019年国勢調査)では約86%が無宗教ですが、実際は祖先崇拝などの民間信仰を実践しています。政府宗教委員会2023年によると、仏教13.3%、キリスト教7.6%で、その他はイスラム教や、新興宗教であるカオダイ教やホアハオ教などが信仰されています。ベトナムは他の東南アジア諸国に比べて、宗教的な色彩は薄い国です。多くの東南アジア諸国において、宗教は社会秩序や道徳規範に大きな影響を与えていますが、ベトナムでは日常習慣や儀礼的な意味合いでの宗教としての側面が強いといえます。これは、最大の宗教が規律の緩やかな大乗仏教であることや、宗教との親和性が低い社会主義国家であることが理由として考えられます。
民族
ベトナムでは人口の約86%をキン族(越族、ベト族)が占めており、狭義ではベトナム人はキン族のことを指します。しかし、ベトナムは多民族国家で、キン族の他に、53にも及ぶ少数民族が共存しています。タイー族(旧トー族)、タイ族、ムオン族、クメール族などの少数民族が山間部を中心に全国に分布しています。ベトナムは多民族国家ではあるものの他の国で見られるような民族紛争はほとんどありません。
また、ベトナム経済を考える上で華人(華僑、ホア族)の存在も重要です。1950年代には南部を中心に150万人以上いたとされる華人ですが、1970年代の中越戦争時代に多くの華人が難民として国外に去りました。その後、ドイモイ政策の導入に伴い帰国や新たな移住があり、再び華人は増えつつあります。華人は南部に多く、ホーチミンのチョロン地区は東南アジア有数のチャイナタウンとして有名です。
政治体制 ➡ 社会主義共和国
ベトナム共産党による一党独裁の社会主義体制です。集団指導体制がとられており、党書記長、国家主席、首相、国会議長の4人の首脳による「四柱(Tu Tru)」体制が敷かれています。原則としてこれらの役職は兼任されず、権力の分散と相互牽制が図られています。
[共産党] 書記長:トー・ラム
全国に約560万人の共産党員がおり、5年に1回開催される党大会(全国代表者大会)が党および国の事実上の最高意思決定機関となります。党大会では約200名の中央執行委員が選出され、大会閉会中は半年ごとの中央執行委員会が指導を行います。この中央執行委員会が、最高指導部である政治局員と、そのトップである書記長を選出します。共産党書記長が、事実上の国家最高指導者に当たります。
[国会] ➡ 一院制(500名)、任期5年 元首(国家主席):トー・ラム(書記長兼任)
国会は、共産党の指導の下、憲法および法律の制定を行う唯一の立法機関です。国会議員は国民の直接選挙により選出されます。国家主席は「国家の元首」として国会で選出され、対内・対外的に国を代表しますが、実質的な政治権力は党書記長が握る構造となっています。
[内閣] 首相:レ・ミン・フン 外相:レ・ホアイ・チュン
内閣(政府)は国会の執行機関として、行政全般を担います。内閣のトップである首相は、国会議員の中から選出され、国会に対して責任を負います。経済政策や行政運営の実務は首相が指揮を執り、任免権は国会が持ちます(任期5年)。
[司法府]
1. 司法機関の構成:司法機関は、審判機関である「人民裁判所」と、法律監督機関である「人民検察院」によって構成されます。
2. 人民裁判所:2025年7月施行の改正法により、裁判所制度は大きく再編されました。従来存在した「高等人民裁判所」(北部・中部・南部の3地域)と「県(郡・市・区)人民裁判所」は廃止され、現在は「最高人民裁判所」を頂点に、「省・中央直轄市人民裁判所」、その下に旧・県人民裁判所を再編した「区域人民裁判所」を置く3階層構成となっています。あわせて最高人民裁判所内にハノイ・ダナン・ホーチミン市の3か所に控訴裁判所が新設され、裁判官定数も増員されました。また、これらとは別に軍事裁判所も存在します。
3. 人民検察院:人民検察院は、政府(行政)から独立した国家機関であり、憲法と法律にのみ従います。かつてはあらゆる行政・経済活動を監視する権限を持っていましたが、現在は「公訴権の行使(起訴)」および「司法活動の適法性監督」(捜査、裁判、刑の執行が法に従って行われているかの監視)を主な任務としています。なお、人民裁判所と同様に2025年7月施行の改正法により、人民検察院も「最高人民検察院・省級人民検察院・区域人民検察院」の3階層構成に再編され、高等人民検察院と県人民検察院は廃止されています。
[地方政府組織]
ベトナムの地方行政は、2025年7月の再編により、以下の2層構造に簡素化されました。
● 省・中央直轄市(第1級行政単位):2025年7月の統廃合により、全国は28の省と、6つの中央直轄市(ハノイ、ホーチミン、ハイフォン、ダナン、カントー、フエ)の計34行政区画に再編されました。
● 県・市・区(旧・第2級行政単位)【廃止】:2025年7月の再編により、県・郡・区などの中間行政単位(旧・第2級)は廃止されました。(※かつてホーチミン市内のトゥドゥック市などが該当しました。)
● 社・坊(再編後の第2級行政単位):再編後の基礎自治体として、省・中央直轄市の下に「社(コミューン)」「坊」、および一部地域に「特区」が直接設置されています。
歴史(~現代)
ベトナムの歴史は、繰り返し行われてきた外国からの侵略と支配、それに対する抵抗と独立に向けての戦いの歴史といえます。
中国による1000年にわたる支配、1884年からのフランス植民地支配、1940年からの日本による統治があり、1945年の独立後も南北の分断やベトナム戦争がありました。これらの苛烈な歴史を経て、1976年、ベトナム社会主義共和国が発足し現在に至っています。
[フランス領インドシナ連邦]
19世紀には、アヘン戦争をきっかけとした欧州列強によるアジア支配がベトナムにも及びます。1858年にフランスがインドシナ半島に侵攻したのを契機に、ベトナムはカンボジアとともにフランスの植民地となり、フランス領インドシナ連邦に組み込まれます。その後、植民地支配は100年近く続きます。
[ベトナム共産党の結成]
フランスによる植民地支配の中、1920年頃からはソビエトのコミンテルン(共産主義インターナショナル)の影響で民族運動が盛んになり、ホー・チ・ミンによってベトナム共産党が1930年に結成され、独立運動を展開します。
[第二次世界大戦]
第二次世界大戦が始まると、フランス植民地支配からの独立の機運はさらに高まり、独立運動組織であるベトミンを中心としてゲリラ戦が展開されました。1940年に日本軍が侵攻しますが、1945年8月15日に日本の全面降伏により第二次世界大戦は終結し、日本軍の進駐は終了します。1945年9月2日、ホー・チ・ミンによってハノイのバーディン広場でベトナム民主共和国の独立宣言が行われました。
[インドシナ戦争とジュネーブ協定]
フランスはベトナム民主共和国の独立を認めず、再植民地化を図ります。1946年、ハイフォンやハノイでフランス軍とベトミンによる武力衝突が起き、インドシナ戦争が勃発します。
フランスは数十万もの植民地軍を派兵しましたが劣勢が続き、1954年のディエンビエンフーでの決定的な敗北を受けて、和平交渉による終結へと方針を転換します。インドシナでの休戦を定めたジュネーブ協定が1954年に締結され、それに基づき、1956年にフランスは完全撤退しました。また、この協定において北緯17度線での暫定的軍事境界線が設置され、ベトナムは南北に分断された状態となります。
[東西冷戦とベトナム戦争]
インドシナ戦争末期には、ソ連(現ロシア)と中華人民共和国がベトナム民主共和国(北ベトナム)を承認して武器援助を始め、アメリカがフランス側の援助を始め、東西冷戦を背景とした代理戦争としての意味合いを強めていきます。ジュネーブ協定によってフランスが撤退した後、アメリカはベトナムを反共産主義の防波堤と位置付けて直接介入を始めます。サイゴン(現ホーチミン市)に傀儡政権を成立させ、1955年にベトナム共和国(南ベトナム)の樹立が宣言されます。
それに対し、反米勢力による武装闘争が始まり、1960年に南ベトナム解放民族戦線が結成されます。アメリカはますます軍事介入を強め、ついに1965年に北ベトナムの北ベトナムへの空爆を開始し、ベトナム戦争が始まりました。
しかし、アメリカは莫大な軍備を投入したにもかかわらず、事態は泥沼化したまま活路を見出せず、1973年に撤退しました。北ベトナム政府はこれを契機に南北統一を目指し、南ベトナム軍への攻撃を開始します。1975年に南ベトナムのサイゴンの陥落によりベトナム戦争が終結しました。この凄惨な戦争により、ベトナムには数百万人の犠牲者と国土の荒廃がもたらされる結果となりました。
[カンボジア侵攻と中越戦争]
1976年に、ベトナムは南北統一を果たし、現在のベトナム社会主義共和国が成立、社会主義国家建設の方針を強く打ち出します。
1978年に、政府がベトナム南部の経済の実権を握っていた華僑を追放すると、中国はベトナムへの支援を中止しました。一方、ベトナムは経済相互援助会議(COMECON)に加盟し、ソ連と友好協力条約を締結します。
また、ベトナム軍はポルポト政権下のカンボジアに侵攻し、1979年1月プノンペンを攻略、カンプチア人民共和国(ヘン・サムリン政権)を樹立しました。ポルポト派を支援する中国は、ベトナム北部の国境で攻撃を開始しました。中越戦争といわれるこの戦争は、中国による侵攻から約1カ月後の1979年3月に、中国がベトナム領から撤退し終焉しています。短い戦争であったにもかかわらず、多くのボートピープル(ベトナム難民)が流出することとなりました。
カンボジア侵攻と中越戦争で、国内経済が疲弊し、国際的にも孤立したベトナムは、1989年9月にカンボジアから完全撤退しました。
[ドイモイ(刷新)と全方位外交]
南北統一以降に進めてきた社会主義経済化の挫折から、1986年より市場経済化を目指す「ドイモイ」(刷新)政策に転換し、改革・開放路線に転じました。ドイモイ政策とは、社会主義路線の見直し、重工業優先から軽工業優先への転換、市場経済の導入(国営以外の企業や私有財産の是認)等からなり、この政策により、経済は大きく発展することとなります。
一方で、1989年のカンボジアからの撤退により国際的な孤立の要因がなくなったことや1991年に最大の貿易相手国であったソ連が崩壊したことで、ベトナムは全方位外交路線を歩むこととなります。その後中国、フランス、アメリカ等それまで敵対していた国とも相次いで国交を正常化させ、また1995年にはASEANにも加盟するなど、国際社会と積極的に協力するようになりました。
[21世紀のベトナム]
ドイモイ政策により飛躍的な経済成長を遂げ、全方位外交による国際協調路線を歩んできたベトナムは、2007年にWTO(世界貿易機関)への加盟を果たしました。
その後も国際社会での存在感を高め、国連安全保障理事会の非常任理事国には2008-2009年期に加え、2020-2021年期にも選出され二度の任期を務め上げました。また、2010年と2020年のASEAN議長国就任や、CPTPP(環太平洋パートナーシップ協定)をはじめとする多数の自由貿易協定(FTA)への参加など、アジア太平洋地域およびグローバルな舞台において、その主導的役割と連携強化に意欲を見せています。
教育
ベトナムでは儒教の影響もあり、伝統的に勉学を重んじる傾向が強くあります。小学校の就学率は98%を超え、白いシャツに赤いスカーフを巻いた小学生たちの姿は、ベトナムの日常的な光景として親しまれています。また、成人の識字率も約96%と極めて高い水準を維持しています。
ベトナムの教育行政は、教育訓練省(Ministry of Education and Training)が政策立案や監督を行いますが、実務は省や市などの地方自治体が担います。大学教育においては、近年「大学の自治」が法改正により強化されていますが、専門性に応じて管轄が分かれており、例えば医科薬科大学は保健省、芸術系大学は文化スポーツ観光省が所管するなど、分野ごとの専門省庁が深く関与する体制が続いています。
特筆すべきは日本に対する関心の高さです。ベトナム国内の日本語学習者は約17万人に達し、世界でもトップクラスの学習者数を誇ります。政府は日本語を「第一外国語」として認定しており、小学校から大学に至るまで、公教育の中で日本語を学ぶ環境が整備されています。
教育システム
ベトナムの学校教育制度は、南北統一後の1981年に抜本的な改革が行われ、全国で12年制のシステムに統一されました。
現在の学制は、小学校が5年(6歳~11歳)、中学校が4年(12歳~15歳)、高等学校が3年(16歳~18歳)の「5-4-3制」です。最新の教育法では、小学校が「義務教育」、中学校は国家がすべての国民に履修を促す「普及教育」と位置づけられています。実質的には中学校までの9年間が基礎教育とされていますが、都市部での人口過密による教室不足(午前・午後の二部制授業)や、山間部・へき地での通学困難など、地域による教育環境の格差は依然として課題となっています。
高等教育への進路も多様化しています。高等学校卒業後の進学先に加え、中学校卒業後から職業技能を学ぶ「中級学校」などの職業教育機関があり、そこから大学レベルへ進む道も開かれています。大学教育においては近年、国際基準に合わせてカリキュラムの柔軟化が進みました。一般的な学士課程は3年~4年ですが、高度な専門性を要する「エンジニア(技師)」の学位は5年以上、医師は6年と定められています。また、かつての短期大学の多くは現在、労働傷病兵社会省の管轄下で、より実践的な職業訓練を行う「カレッジ(2~3年制)」として機能しています。
【図】ベトナムの教育基本モデル(博士課程3年/修士課程2年/大学4~6年/高等学校3年/中学校4年/小学校5年 等)(地図・グラフ等の図版は「修正版_完全版」に原寸で収録)
日越関係
日本とベトナム、共に海洋国家としての性格を持つ両国の結びつきは古く、16世紀頃の朱印船貿易にまで遡るといわれています。
現代史においては、第二次世界大戦時の日本軍による進駐や、ベトナム戦争時に米軍が沖縄を後方拠点としたことなど、ベトナムの苦難の歴史とも深く関わってきました。戦時賠償に関しては、南ベトナム(ベトナム国)との間で一度合意がありましたが、終戦後の1973年、日本は当時の北ベトナム(ベトナム民主共和国)との間で国交を樹立。その際、経済協力を実施する形で合意に至り、1975年のサイゴン陥落を経て、1976年の南北統一後もハノイに大使館を維持しました。
カンボジア問題解決後の1990年代以降、両国の関係は飛躍的に発展しました。日本は長年にわたりベトナムにとって最大のODA供与国として、インフラ整備から法整備支援、人材育成まで幅広く貢献しています。21世紀に入ると経済連携協定(EPA)の発効(2009年)などを経て関係はさらに緊密化し、外交関係樹立50周年を迎えた2023年には、両国関係は「包括的戦略的パートナーシップ」へと最高レベルに格上げされました。
人的交流も空前の規模に拡大しています。在ベトナム日本人数は 約1万7,400人で、日本国内のベトナム人数は約63万人(2024年末時点)に達しており、日本社会にとって欠かせないパートナーとしての存在感を放っています。
コラム:ベトナム語の発音は世界で一番難しい?
ベトナム語は、文法自体はシンプルですが、発音がかなり難しく、一説には世界で最も難しい発音の1つともいわれます。
一般的には、外国人であっても長期間住んでいれば、自然に耳が慣れ、その国の言葉をある程度聞き取れるようになるといわれています。しかし、ベトナム語は、長期間住んでいても全く耳が慣れないという人もいるくらいです。その理由について、次の2つが考えられます。1つは、ベトナム語には日本語にない6声調があり、音の高低で、意味を聞き分ける必要があるためです。ちなみにベトナム語の発音の解説書を見ると、「ã」の音は、「喉の緊張を伴ってやや上昇し一瞬喉を閉じた後で急に上昇する」と書いてあります。この説明を見る限り、ベトナム語の上達は諦めたくなります。もう1つは、カタカナにできない音が多いためです。日本人の耳にはベトナム語は「ニョロニョロニョロ~」「フニャフニャフニャ~」というふうに聞こえ、全くカタカナに置き換えることができません。
ちなみにベトナム語の「ア」は18種類あり、それぞれ意味が変わります。日本には、「ア」は1つしかないため、かなり判別が難しいものと思われます。これは、上記で述べた6声調に加え、口の大きさで3つの音を使い分け、6×3で18通りとなるためです。
「ア」の18種:a・à・ả・ã・á・ạ/ă・ằ・ẳ・ẵ・ắ・ặ/â・ầ・ẩ・ẫ・ấ・ậ
ベトナムに語学留学している人を除くと、ほとんどの日本人がベトナム語を話せないので、話せれば仕事相手と円滑なコミュニケーションが図れるなど何かと有利になることでしょう。またベトナム語が話せれば、ベトナムの生活が数倍楽しくなることは間違いありません。
